バロンのブログ バログ

私は武士の息子です的なブログ

第14回 川越唐人揃い

今日の小江戸川越 天気良し👍

午前中から実家でゴロゴロ

お昼から始まるお祭り待ち

『川越唐人揃い』↓これ

そりゃなんぞ?

今から420年ほど前、豊臣秀吉は突如15万の

大軍で朝鮮を侵攻し(文禄・慶長の役1592〜98)

中国の明とも戦いました。この戦争は朝鮮を

戦火にまき込み、多くの朝鮮人が捕虜として

日本に連行されるなど大変な被害をあたえました。

一方、徳川家康は肥前の名護屋城に

出陣しましたが、兵を朝鮮に送りませんでした


そして政権を握ると、

東アジアの平和なくして

日本の平和はないと考え、

朝鮮との国交回復に努力しました。


その結果1607年、朝鮮国王から

徳川将軍への使節が派遣されました。

それが

『朝鮮通信使』です。

通信とは

(信『よしみ』を通わす)という意味です。

通信使は江戸時代に12回、

毎回400〜500名の大使節団が来日し、

国家間の外交にとどまらず、

学問・芸術を通じた豊かな文化交流が実現しました。

通信使が通る沿道では行列を一目見ようと

人垣ができ、宿舎には文人たちが

交流を求めて押しかけました。

隣の国との友好的な交流が200年も継続した

歴史は世界的にも稀だといわれています。




川越に朝鮮通信使は来たの?唐人揃いって何?


朝鮮通信使は1636、43、55年の三回、

日光東照宮に行くため江戸から

日光へ向かいました。

ですから埼玉県の東部の草加、越谷、

春日部、栗橋など日光道中を通過しましたが、


埼玉県西部の川越には来てません。


朝鮮通信使は江戸時代の日本人にとって

一生に一度あるかないかの

貴重な異文化体験でした。


川越の豪商、榎本弥左衛門は、

1655年に江戸で朝鮮通信使を見物し、

華やかな行列の感動を

『榎本弥左衛門覚書』(東洋文庫)という

日記に書き残しています。


その後、1700年頃の

川越氷川祭礼(川越祭り)では、

朝鮮通信使の仮装行列である

『唐人揃い』

と呼ばれる練り物が出されました


唐人とは中国人ではなく広く

外国人を指しています。


オッパッピー✨とマサムネさんも言っていた


川越氷川神社には唐人揃いが描かれた

氷川祭礼絵巻や実際の通信使を描いた

朝鮮通信使行列絵馬 も奉納されており

川越町人の進取の気性と異国情緒を

楽しむ心意気を感じ取ることができます。




なぜかヨサコイも、、、


疲れたら、COEDOビール


いちごスカッシュも美味しい


あらら、越中おわら友の会

静かな唄と踊りがカッコイイ!


立冬も過ぎたのに、春のような陽射し??

どーかしてるぜ💦💦💦


じゃばね!✋